[書籍]
『演劇プロデューサーという仕事 「第三舞台」
「劇団☆新感線」はなぜヒットしたのか』
著者:細川展裕
1,400円+税/四六判/ 304ページ/小学館
2018年10月25日発売
2018年10月25日(木)に、『演劇プロデューサーという仕事
「第三舞台」「劇団☆新感線」はなぜヒットしたのか』
という本が発売されます。
レコード会社の会社員から第三舞台のプロデューサー、
そして現在は劇団☆新感線のエグゼクティブ・プロデューサーに
なった細川展裕の初の自叙伝です。
細川氏は、イーオシバイを運営する、
株式会社ヴィレッヂの会長でもあります。
そこで今回、イーオシバイの店長が、著者の細川氏を捕まえて、
その内容をちょっとだけ教えてもらうことにしました。
果たして、気になる本の中身は!?
脱線を繰り返す裏話満載のインタビュー!
前後編でお届けします!
※インタビュー:2018年10月某日
※聞いた人……イーオシバイドットコム店長 糸永伸
◎熱狂の終焉
――
鴻上さんの97年の英国留学(文化庁の芸術家在外派遣研修制度で
1年間ロンドンに留学した)のあたり、
細川さんの混乱と戸惑いも感じました。
細川
その後(帰国後)の、
『ものがたり降る夜』(KOKAMI@network第一弾)からは、
もうほとんど第三舞台には関わってないんだよね。
これは本に書いてないからちょうど良いかもしれない。
実は『ものがたり~』の初日に、
気になったから劇場に行ったんだよ。
俳優座で300席ちょっとのキャパだったんだけど、
初日のアンケートの回収率が、確か20%を切っていた。
翌年にグローブ座を2ヶ月間、KOKAMI@network第二弾で
取ってたんだけど、そのアンケートの回収率を見て、
第三舞台の制作の中島(隆裕)と相談して、半分キャンセルした。
それまで第三舞台のアンケート回収率って30%を超えてたんだ。
でも、その第三舞台の熱狂は去ってる。
KOKAMI@networkはあくまでも第三舞台とは関係のない、
鴻上の始めた新しい演劇のユニット。
そしてそこに第三舞台と同じ力はないっていうところから
スタートしないと、これはちょっと厳しいなと。
で、グローブ座を半分キャンセルさせてもらって、
そこに『犬夜叉』(SHINKANSEN☆PARCO MICS 2000年)を
入れたんだよ。
――
そのあたりのジャッジメントは
正に「プロデューサーの仕事」ですね。
細川
私的にはそれ(アンケート数)が一番ショックだったな。
「えー! その回収数は何?」と思ったもの。
客はもちろん普通に満席で、確かフルキャパで
8千人とか1万人とかは入ってたと思う。
普通に考えたら、第三舞台のお客さんが流れてくれたのかな?
と思ってたし、鴻上の芝居だし、アンケートの回収率が
そんなに第三舞台と差が出るとは思わなかった。
ここにはもう熱狂は完全に無いんだなって実感した。
――
第三舞台に関しては盛り上がって行く話は良く聞くんですが、
終息していく話はなかなか聞く機会がなくて。
良くそこに触れたなと思いました。
細川
大事大事。だってみんな見てるわけじゃん。
例えば、ピンクレディーとかが人気絶頂でした、
それがだんだん見なくなりました、
みたいなのを何回も見てきた世代だからさ。
物語は結局「めでたしめでたし」じゃ終わらないなと。
あの松岡和子さん(※日本の翻訳家、演劇評論家)の名言で
「シェイクスピアの喜劇はすべて結婚で終わる、
悲劇はすべて結婚から始まる」ってね。
どんな物語にも続きがあるわけで、
「めでたしめでたし」の結婚式では話は終われないんですよ。
結局、その結婚から今度は悲劇がはじまって行くんだから。
まあどこまでどの時点で切るかで、それは喜劇だったり
悲劇だったりするわけで。
第三舞台に関しては、本当に第三舞台というものが
今なくなっている以上、全部書くしかないかなと。
――
第二章の『走り続ける第三舞台』では、
その内容はほとんど鴻上さんに関してでした。
細川
役者は、筧(利夫)と勝村(政信)のことを
ちょっと名前出しただけだったね。
逆に、第三舞台に関しては、
この章(第二章)の「最後のあの文章」に行き着くためには、
その方が良いでしょ。
――
「最後のあの文章」は、第三舞台の本質を
するどく突く文章でしたね。
気になるその文は、ぜひ本を手にとってお読み下さい、
ということで(笑)。
さて、今回のインタビューでは「前編」として、
本書『演劇プロデューサーという仕事』の前半部分で
取り上げられていた第三舞台時代のことを中止にお聞きしました。
「後編」では、今度は新感線時代に入ってからのことについて
お聞きしていきます。こちらもどうぞお楽しみに!
☆細川展裕プロフィール
細川展裕(ほそかわのぶひろ)。1958年愛媛県生まれ。1984年、幼馴染の鴻上尚史氏から誘いを受け、第三舞台制作部に入団。以後制作部をサードステージとして法人化。1985年から1998年まですべての劇団第三舞台公演、及びサードステージ公演のプロデューサーを務める。1999年劇団☆新感線が東京に拠点を移す時期から同劇団のプロデューサーを務める。2000年株式会社ヴィレッヂ社長就任以来、2018年まですべてのヴィレッヂ公演のエグゼクティブプロデューサーを務め、2008年以降は1演目10万人規模の公演を行い現在に至る。2018年現在、株式会社ヴィレッヂ会長。
後編へ続く>>
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